春と夏にそれぞれ兵庫県の甲子園球場で行われる全国高等学校野球選手権大会。
プロ野球とは違った魅力やドラマが詰まっている国民的スポーツ行事になっていますよね。
その甲子園大会において印象的なのが試合開始時などに鳴る「アァーーーー」というサイレンです。
非常に印象的な音ですが、このサイレンはプロ野球や他の日本の学生競技では使われませんよね。なぜ高校野球のみこの空襲警報を思わせる独特なサイレンが使われているのでしょうか?
今回は甲子園大会におけるサイレンの由来や意味を見ていきたいと思います。
甲子園で鳴るサイレンの意味は?
タイムテーブルを共有?
甲子園大会では試合前のシートノック開始時、試合開始時、試合終了時、そして終戦日である8月15日の正午にサイレンが鳴らされることになっています。
このサイレンは甲子園大会が始まった1915年、つまり大正時代から使用されており、現在でも音は変わっていません。
甲子園で使われるサイレンの音は戦時中の空襲警報のサイレンに酷似していますし、終戦記念日である8月15日の正午にも鳴らされることから戦争に関係があるのでは?と言われていますが、実は甲子園のサイレンが直接戦争に関係するということはありません。
甲子園のサイレンは元々「連絡用」のサイレンだったのです。
現代では球場内で用具係などスタッフのタイムテーブルを統一するのは難しいことではありません。インターネットや携帯電話などで連絡を取ることが簡単ですからね。
しかし設備の整っていない大正時代において球場内外で飲食物を販売するタイミング、用具係が整備をするタイミング、試合の経過を確認するタイミングなどスタッフ同士のタイムテーブルを大規模な球場で統一するのが困難だったのです。
スタジアムで野球観戦した経験がある方はわかるかと思いますが、現地にいると観客にとってもプレイボールのタイミングは分かりにくいですよね。
そのため試合前の練習と試合開始、試合終了時にサイレンを鳴らして仕事のタイミングを統一することになったのです。
甲子園の高校野球をテレビで観ていると、試合開始時と終了時以外に、試合と試合の間にサイレンが何度か鳴りますが、甲子園での現地観戦をするまでは、あのサイレンの意味が解りませんでした。
— カピメバル (@taki_mebaru) 2010年8月12日
甲子園のサイレンと戦争は直接関係ない!
現代ではこのサイレンを聞くとどうしても空襲警報を思い出してしまいますが、当時は別に特別なものではなく、空襲に限らず大規模な範囲に合図を送る場合はこういったサイレンを使うのが一般的でした。
時報や仕事の始業、終業にも使われていたくらいですからね。今でも地方のそれほど大きくない都市に行けば正午、夕方に甲子園のものに似たサイレンを鳴らしている自治体は数多く存在します。
戦時中は空襲警報と間違わないように進軍ラッパなどに置き換えられていたそうですね。
時代と共にサイレンは徐々に使われなくなったため、現代に生きる私たちが聞くと戦争を想起してしまいますが、甲子園のサイレンは戦争と直接関係はありません。
ただの時報、及び仕事の時間管理のため(昔は)に存在しています。
したがって甲子園のサイレンは現在では特に必要なものではないと言えるでしょう。しかしこのサイレンによって夏(もしくは春)を感じる人が多いのも事実なのでおそらく単純に風物詩、文化として残してあるのだと思います。
確かに夏は甲子園のサイレンを聞かないともの足りないですね。
夏の甲子園とか超感動的っていうかthe青春だよね。
サイレンの音とか金属バットの音とか
砂を持って帰る意味とかも深いしさ
涙がいくらあっても足りない笑— Kento N (@0313_KentyN) 2014年8月16日
・試合の開始と終わりを観客、スタッフで共有するため
・空襲に限らず当時はサイレンで連絡をするのは普通だった
・現代では必ずしも必要なものではない
甲子園のサイレンは人の声ではない?
ちなみにこの甲子園のサイレンはまるで人の声かのように聞こえますよね。
しかし実際は人の声ではなく、機械が空気を振動させることであの独特の余韻が強い音を出しています。
機械の操作自体は甲子園の職員(ウグイス嬢など)が審判のコールに合わせてスイッチをおすことによって鳴らされています。
甲子園球場が改装を重ねてもこのサイレンの音だけは大正時代と変わっていないそうです。
甲子園のサイレンは残しておくべき文化
紹介したように甲子園のサイレンは現代ではあまり意味がなく、必要なものでもありません。しかしやはり甲子園大会にはこのサイレンがないと雰囲気が出ないので、例え不必要で時代遅れのものだとしても永遠に残して欲しい文化の一つだと考えます。