イタリア人騎手ミルコ・デムーロが日本に来た理由とは?親日エピソードも

シェアする

※当サイトは記事内にアフィリエイト・アドセンス広告を含む場合があります。

もはや完全に「日本の騎手」として日本競馬会に定着しているイタリア人のミルコ・デムーロ騎手。

その騎乗技術の高さもさることながら非常にサービス精神旺盛な人ですっかり日本でも人気の騎手となっています。

2000年代前半から短期免許で度々日本で騎乗するなど元々日本での知名度が高かったデムーロ騎手ですが・・・2015年からは1年を通して日本競馬に騎乗しています。

ではなぜデムーロ騎手は競馬の本場ヨーロッパから離れ、日本で騎乗する事になったのでしょうか?

その理由とデムーロ騎手の「親日」エピソードなどを見ていきたいと思います。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

ミルコ・デムーロのプロフィールと日本に来た経緯、理由

ミルコ・デムーロのプロフィール

名前ーミルコ・デムーロ(Mirco Demuro)

国籍ーイタリア

出身地ーローマ

生年月日ー1979年1月11日

ミルコ・デムーロ騎手はネアルコやリボー、トニービンなどの名馬が所属し、フェデリコ・テシオやランフランコ・デットーリ騎手など多くの名ホースマンを生んでいるイタリア競馬で騎手として活躍していた方です。

イタリアでは1994年にデビューし、年連続でイタリアリーディングジョッキーを獲得するなど活躍、イタリアダービーやミラノ大賞典などイタリアの大レースも多数勝っている騎手です。

1999年頃から他の有力外国人騎手と同じように短期免許を利用して年に数か月日本でも騎乗を開始。

2003年にはネオユニヴァースで皐月賞、日本ダービーを制して競馬ファン以外にも知られる事となります。

その後もスクリーンヒーローでジャパンカップ、ヴィクトワールピサで有馬記念、エイシンフラッシュで天皇賞秋を制するなど短い来日期間の中で大レースを勝ちまくり勝負強い所を見せつけます。

しかしデムーロ騎手はだんだんと母国イタリアで騎乗する機会が少なくなり、フランスやイギリス、香港、果てはスイスの氷上競馬といった競馬界ではあまりポピュラーとは言えない地域にまで遠征して競馬をする機会が多くなりました。

フランス、イギリスは伝統もあるしレベルも高いので遠征する騎手が多いのは分かりますが・・・これほどの腕を持った騎手がなぜ氷上競馬など一般的でないジャンルにまでチャレンジしていたのでしょうか?

デムーロが日本に来た理由。厳しい局面を迎えるイタリア競馬

デムーロが一時期世界中を放浪していた理由としては「イタリア競馬の斜陽化」が大きい理由でしょう。

イタリアの競馬は経済の悪化や有力馬の海外流出といった問題が相次ぎ、2000年代の後半から衰退の一途を辿っています。

2009年にはその国の競馬において最も権威が高いとされている「イタリアダービー」や複数のG1レースの格付けがG1からG2に降格するなど悲惨な状況なのです。

そんな厳しい経営状況ですから、当然ジョッキーへの賞金未払いなどは当然のように行われていました。デムーロ騎手もこのとき「賞金が所得として計算されながらも実際には払われていない」という理不尽すぎる状況に嫌気がさし、他の国に所属を移すことを検討していたと仰っています。

そして2013年、日本でJRA史上初めて「試験に合格すれば外国人にも通年で免許を与える」という制度が作られるのです。

すでに実績があって日本競馬を気にいっていたデムーロには朗報。たくさんいい馬に乗せてくれて賞金も世界トップクラスに稼げる日本が打ち出したこの制度にもちろん積極的にチャレンジします。

1年目は残念ながら不合格でしたが2回目の受験となった2015年の試験には見事合格。フランス人のクリストフ・ルメール騎手と共に史上初めてとなる「外国人JRA所属騎手」となったのです。

ルメールに関してはこちらも参考に→フランス人騎手C・ルメールが日本に移籍した理由は?日本語はどう?

日本に籍を移してからも大活躍でG1を勝ちまくり、2017年には重賞騎乗機会5連勝を達成するなど日本トップクラスの騎手として活躍を続けています。

ミルコ・デムーロの日本語は?親日エピソードも

岩田康誠より日本語が上手いデムーロ

日本競馬で通年で騎乗するには試験に受かる必要がある事は前述した通りです。

この試験には日本語の口頭試験が含まれているため日本語がある程度話せなくてはいけません。

デムーロ騎手は世界中で騎乗経験があるのでスペイン語、英語など複数の言語を話せますが日本語も猛勉強でペラペラになっていて、関係者との会話やレース後のインタビュー、取材対応などそのほとんどが日本語で問題なく意思疎通できるレベルです。

一説には日本人でありながらしゃべり方が独特な岩田康誠騎手より上手いとも言われています。

また競馬新聞に書いてあることなら漢字も読めるそうなので・・・かなり日本語力は高いと言えるでしょう。

かなりの親日家

デムーロ騎手はかなりの親日家でも有名です。

第二の騎手人生として日本を選んだ事ももちろんそうですが、その前、2011年東日本大震災が起こった直後にドバイワールドカップを日本馬ヴィクトワールピサで制した時は喪章を握りしめて号泣しながら「朝から日本のために祈っていました・・・」と馬上で漏らすほど。

さらに有名なのが2012年エイシンフラッシュで天皇賞・秋を制した時のエピソードでしょう。勝ってウイニングランをした後、デムーロは不意に馬を止めて下馬してヘルメットを脱ぎ、ご来場されていた天皇皇后両陛下に向かって馬場で跪いて最敬礼を見せました。

このイタリア人らしい「騎士道」精神を見せたデムーロの行動には様々なメディアから反響が大きかったですね。

ちなみに納豆が好きで毎日のように食べるなど日本食も割と好きな様子。ただデムーロの子供は納豆の匂いが苦手なようで「それを食べるくらいなら(包んでいる)パックの方を食べた方がマシ」と言っています。笑

度々ヤンチャな所も?

デムーロ騎手はイタリア人らしくとても明るくてポジティブな性格な事でも知られています。

しかし度々それが行き過ぎてしまう事もあり・・・勝ったレースの入線後で両手を手綱から離し、飛行機のようなポーズを取ってJRAから罰金処分を食らっています。それも何度も。

嬉しいのは伝わってきますが、走ってる馬から手綱を離すのは本当に危険なのでほどほどに・・・

2017年の皐月賞でもペルシアンナイトで2着に入りましたが、戻るときに勝ったアルアイン松山弘平騎手に向かって中指を立てるといった行為も問題になりましたね。4コーナーでアルアインにぶつけられていた事が原因かと思います。

ただ松山騎手もアルアインの助手も笑っていたのでおそらく冗談に近い感じだったのでしょう。冗談だったらいいのかと言われると良くはないですが・・・

本気で怒っているわけではなさそうです。

いずれにしても若干ヤンチャな行動をする時はありますが、勝った時は心の底から嬉しそうにガッツポーズをするなど感情が素直に出やすい人なので見ていて心を揺さぶられる事もある騎手だと言えますね。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする